補習が始まりましたので学校を出るのが17時過ぎです。
そろそろ暗くなり始めています。
12月になればこの時刻でもう真っ暗でしょう。
1年生全体のなかでも最も数学が不得意とされる何人かを集めた補習です。
一筋縄では行きません。
別に全ての学生が数学に堪能にならなければならないわけではありません。
それは人類が必ずギターを弾けなければならないわけではないのと一緒です。
しかし、強く言いますが、ギターを弾けると云うことは
これは素晴しいことであり、沢山のものを人生にプラスしてくれるでしょう。
また、数学に興味をもち、考えることができると云うこともまた
非常に素晴しいことであり、人生を豊かにしてくれます。
学校では試験をし成績を付けて学生を評価します。
しかしそのシステムは有効に作用しているのでしょうか?
結局それは落伍者を出すために行われているだけのように思えます。
どうせ人生いつかは落伍者になるわけです。
そんな子どもの内から落伍者認定する必要性も感じません。
早い段階から落伍者認定してしまうと
その人間を社会が内包するためのコストは
結構高くなってしまう気がしてなりません。
しかも『落伍者認定』に通った人たちも
落伍者認定されなかった人たちも、
その時点ではそんなに生物として違いがあるようには思えません。
その後の教育を受けていない/受け付けないと云う点から
社会スキルとしては大きな違いは出てくるんですけどね。
やはり『失敗=恥』文化圏では難しいのでしょうか。
北欧や南欧、あとアジアに多い文化のようですが。


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