1er étape 2eme étape

11/18/2013

迷ったら、やめる。

古着。

僕はいつの頃からか古着ばかり買うようになってしまい、
いわゆる新品の服屋さんにはほとんど行きません。
パルコとか、シップス、アローズ、などなど
昔はよく行っていましたがもう何年も行った事がありません。
パルコで働いていながら1階から8階は通過のみですね。

古着の良さっていうか、古着屋の良さって言うのは、
何だろう、色々な製造業者の色々な時代の
様々な形式の服が一堂に会している所でしょうか。
しかも値段はすこぶる安い。
昔のコメ兵、今の本館がある場所のとなりの
狭い階段を上がった所にあったあの空間や、
昔のアンクルミート、今は亡きペンタゴン。
もう十数年前ではありますがあの頃のあの空間にはまりましたね。

流行の服なんて置いてないし全てが在庫一点しかない。
売れてしまったら再入荷の見込みなんてあるわけない。
この1着を買うのか、買わないのか。
貧乏学生の真剣勝負がそこにありました。
そんな中で『Wow!』と云う一着に出会ったときのあの感覚。

そんな古着屋通いの日々を経て、
自然と幾つかの法則を理解するようになりました。
見るべきポイントは何か。
僕にとってその第一項目はカラー、すなわち『色』でした。
いくら好みの形態の服であっても、色が好みでないとどうにも嫌な感じが消えない。
そのうち店に入ったらハンガーに掛かっている服そのものではなく、
まず大雑把に色を探すようになったくらいですね。
それから知っておくべき素材、製造者。
インド製の綿とその他の場合の違いは何か。
全然知らないけれどもなぜかよく目にするこの製造業者は何だ?
あと自分にはどう云う服が似合うのか。
僕の場合襟のないものはTシャツ以外は駄目だね。
多分首が少し長め(細め?)なんだと思う。

そして最も重要なのは、微妙な判定をどうするか。
そう、迷った時にどうするか。これが本題だ。
もちろん何に迷っているのかも様々で
単に価格のみで迷っているのなら話は早い。
こればっかりはしょうがないね。
1本5万円のジーパンなんて買えんて。
本当に厄介なのは十分買う事が出来るもので、
でもどこかしら迷いがある場合。
それが色なら、まず間違いなく却下出来るから良いんだけど、
そうでもないとなると面倒です。
まあ、ごちゃごちゃ言わずに買っちゃえよと云う声もあるでしょうが
もちろんそれもやりましたが、やはり買った服を結局着ないと云うのは
何ともバツの悪い、嫌な感じがしてしまうんですよね。
ここら辺が貧乏性なんでしょうね。

で、結局の所、分かった事は、

迷ったら、やめろ。

これに尽きます。
その迷いはごくわずかな迷いであって
そのうち気にならなくなるかと思われるかも知れませんが、
むしろ逆で、そのブツが手元にやって来て
毎日そこにある環境になると、
そのちょっとした『気に入らない』と
毎日向き合わなきゃならんわけですよ。
これはきついね。
古着屋のハンガーに掛かっている状態なら許せる事でも
我が家のタンスに掛かっていると許せなくなってしまうんですね。
面白いもんです。
『迷ったけど買って良かった』のは
ちょっと高くって躊躇したけど思い切って買ってみた場合だけだね。
価格以外にちょっとした『気に入らない』があった時は駄目です。
もう『これだ!!!!』と直感に響いて来た服ばかり着てしまうんですよ。
迷った奴に出番はありません。
厳しい世の中です(?)

何の話をしてるんでしょうね。
分かりますか?

一度きりの人生ですから誰しも迷います。
僕も、あなたも、色々迷って現在に至っているわけです。
僕の場合はどちらかと言うと普通でない選択ばかりして来たような気もしますが
まあ、自分で選択したわけです。
少なくとも自分で選択出来る自由は与えられていたわけですから
幸運だったとしか言いようがありません。
だから懐古趣味としての後悔はあっても
悪い意味で後悔する事はありませんが、
やはり『何だかな』ぐらいには思う事があります。

例えば大学1、2年の時。
僕は数学科に行くと公言していましたし
その通り数学科に入りましたから誰も不思議には思っていないでしょうが、
実は僕は数学科に行く事を躊躇していました。
これは俺のやるべき事ではないのではないかと、
そんな不安がつきまとっていました。
地球科学科のツアーに参加したのも決してお遊びではなく、
何かヒントが、きっかけが得られればとの切実な状況からでした。
生物学科の教授に相談した事もありました。
でも、数学が嫌いなわけではありませんでしたし、
ある程度得意でしたから結局数学科に進みました。
それからは数学漬けの毎日になったわけですが
やはり当然の結果としてボロが出てきました。

何の迷いもなくその道を突き進んでいる奴らがいるわけですよ。
どうしたってそんな奴らにはかないっこないんですよ。
所詮躊躇している奴なんて言うのは。
努力で補えるって?
確かにそうだ。ある程度は出来る。
平たく言えば修論程度なら何とでもなるさ。
いや、上手く誤摩化せば何とでもなるかもしれない。
でもね、たとえ『何とかなった』としても
やっぱりその『気に入らない』と
毎日面と向かって暮らすのはつらいよ。

同じ院生室に北大から来ている先輩のW氏がいた。
パンルヴェ方程式のW氏だ。
非常に独特な人で、色々お世話になった大先輩なんだけど、
あるとき彼が飲み屋から大学への帰り道に
当時頻発していた名大生を狙った恐喝事件に巻き込まれてしまった。
彼はもみ合いになっか何かで弾みに頭を打ち、
頭蓋骨骨折と云う大怪我を負ってしまった。
そのとき一緒に被害にあった同級生Hの談によると
倒れたW氏は路上に横たわりながら
『俺はまだ死ねない。パンルヴェ2がまだ出来ていないから、まだ死ねない』
(パンルヴェ方程式は1から6まであり、その第2方程式のこと。
ただし当時何番目が未解決だったかはよく覚えていないので
上の『2』は適当です)
と言っていたと云うではありませんか。
頭蓋骨を骨折するような大怪我をした時に、
まだ数学の話をしている。
いやいやもっと他にあるでしょう、と。
でも彼は違うんだよ。

またあるとき、
とうとう全ての方程式が解決した時だっただろうか
それとも最初の方程式が解決した時だっただろうか。
彼は興奮を押さえきれない様子で僕に
『笠井君、今日は寝れそうもないから
ちょっと酒でも飲みに行きませんか。』
と言って来た。
僕らは東山の太平閣へ行き、ビールを飲みながら
数学をつまみにして焼きビーフンとか、そんなものを食べた。

僕は自分に問うた。
お前はどうなんだ、と。
数学で興奮して眠れぬ夜を過ごした事があるか?
ちょっと間違えば死ぬかもしれないような
大怪我をしている最中に、
それでも数学の事を気にかけられるのか?

そう云うわけで、僕は数学をやめた。
やはりこれは僕の着る服ではなかったようだ。

もちろん人それぞれに洋服への関わり方があるように
数学への関わり方もひとそれぞれ。
まさか数学で成功した人は皆がみな
頭蓋骨を骨折しているわけでもあるまい。
太平閣の焼ビーフンぐらいなら食べてても良いかなとは思うけどね。

要するにここから透けて見える事は、
僕が実際に完璧主義者かと言われると
そこまでではないと思うけれども、
どうやらその気は十分あるようで、
完璧主義の人は色々と上手く行かなくなった時に
完璧主義者であるが故のメリット以上に
人並み以上の困難を抱え込んでしまう可能性があると云う事。
そして『好きこそものの』ナントカはやはり正しいのだと云う事。

人それぞれの人生ですが、
迷いながらもしっかりと生きてゆければ。

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