論理的な根拠と非論理的な根拠と。
どちらがより『強い』かと言うと、
一瞬だけ論理の方が当然強いだろうと考えてしまうんですよ。
特にある程度の教育を受けてしまうと。
でもよくよく世界がどんな風だったかを考えてみると
これはもう比較にならないぐらいに非論理の方が強い。
って言うか、非論理だから論理的には無敵。
論理的であれば幾らでも攻めどころはあるだろうけれども
非論理にはせいぜいのところ『それは論理的でない』と云う
負け犬の遠吠えくらいしか掛ける言葉がない。
だって信じちゃってるからね、無敵。
暮らしの手帳を読んでいたら良い話が書いてあった。
根拠のない自信と根拠のある自信の話。
これもそうで根拠のない自信は無敵。
これが確かなベースになる。
根拠のあるものは、
そう、形のあるものはいずれは壊れる。
根拠のあるもの、論理的なものと云うものは
これは結局複製/伝達のためにあると言って良い。
あと比較のためとも言えるか。
論理的な事柄は伝達/学習可能であると、まあ、言って良いだろう。
しかし非論理的な技術は通常の学習のフォーマット内では伝達は難しい。
それこそ師匠−弟子ラインとか特別な関係を媒介しなければ難しいだろう。
いや、そもそも自然発生する事の方が多いのかも知れない。
意図的ではなく意図のないところで伝達されて行くと言うか。
そんな感じ。
根拠のあるものを大量生産し続けて来た社会は
肝心のところで根拠を失ってしまっている。
自由にやれと云われるとどう自由にしていいか分からないと言う。
そんな事を考えながら自転車を漕いでいた。
今日は夏を予感させる様な日だった。
これからもっと暑くなるのだ。
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